Statement

[1]:起動

「Modulation 8」は、2021年1月、東京において、起動した。
長く続く、新型コロナウイルス感染症の世界的流行という状況の中で。

新型コロナウイルス感染症の世界的流行は、人々のあらゆる活動に大きな影響を及ぼし続けている。芸術文化もその例にもれず、あらゆるジャンルの表現者が、その影響を受け、様々な場面で活動の制約を受けている。このような厳しい状況にあっても、優れた表現者は、この状況に毅然と立ち向かい、あるいは柔軟に対応し、時にはこの状況をあえて受け入れ、それぞれの出自に根ざした表現活動を切り開いている。

この状況から、芸術活動におけるふたつの側面が想起される。
一方は、表現者の主体的・内的な動機による「自律的展開」である。
他方は、表現者を取り巻く外的な要因による「他律的展開」である。

コロナ禍においては、芸術活動の「他律的展開」への意識が高まらざるをえない。しかし、表現者を取り巻く状況が厳しい時代であるからこそ、表現者の主体的・内的な動機による芸術活動の「自律的展開」への意識を高く持たなければならない。社会が危機に瀕しているからこそ、芸術活動の根源が問い直されるのである。

「Modulation 8」は、芸術活動における「自律的展開」と「他律的展開」への意識を高め、コロナ禍においても、芸術活動の基軸となる「表現者と鑑賞者による双方向の創造的な営為」を十全に機能させるために、あらゆる可能性を探求する。

[2]:時間軸映像と空間軸映像

「Modulation 8」は、「時間軸映像」と「空間軸映像」が交錯する表現に注目する。「時間軸映像」とは、始まりがあり、終わりがあり、リニアに展開する映像である。映画館、劇場、テレビ、パソコンや携帯端末のディスプレイなど、概ね、その上映形態は可変である。「空間軸映像」とは、ループする映像や、装置や媒体が表現に組み込まれた映像表現を包摂する。展示空間など特定の空間を前提に提示され、異なる空間での提示が可能な場合においても、現実の空間を必要とする。理論的思考において、両者を弁別して論じることと、表現の実践において、両者に分け隔てなく取り組むことが、現代の映像表現の探求には必要である。

「時間軸映像」と「空間軸映像」をそれぞれの中心とするふたつの円がせめぎあい、無限の可能性が開かれる。

時間軸映像◯◯空間軸映像 = 

[3]映画と映像

「Modulation 8」は、「映画」と「映像」が交錯する表現に注目する。「映画」は、時間軸映像を代表し、文化的にも、社会的にも、歴史的にも、広さと深さをあわせ持つ。映画の歴史は広く共有され、映画はひとつの産業として社会経済活動に組み込まれており、大きな影響力を有している。「映像」は、広義には「映画を包含する映像全般」を意味するが、狭義には「映画以外の映像表現」を示す(以下では「映像表現」を後者の狭義の意味で用いる)。「映像表現」においては、商業性や大衆性よりも、芸術性や実験性が重視されることが多く、個人主義的な表現として表出してくる場合が多い。

「映画」と「映像」をそれぞれの中心とするふたつの円がせめぎあい、無限の可能性が開かれる。

映画◯◯映像 = 

[4]写真と映像

「Modulation 8」は、「写真」と「映像」が交錯する表現に注目する。写真は、「過去の時制」に属しており、一枚の写真それ自体は時間を持たない。しかし、スライドショーや写真集などの形式を採用するならば、写真を見る経験において、時間軸が発生する。映像は、「現在の時制」に属しており、現実の時間の流れの中で経験される。連続的に撮影された「写真」を連続的に提示すれば「映像(動画)」が生まれるのは確かであるが、「写真」と「映像」の関係は、それほど単純ではなく、未だ開拓されていない可能性が潜んでいる。写真家が映画や映像表現に取り組むことには必然性があり、大きな可能性がある。

「写真」と「映像」をそれぞれの中心とするふたつの円がせめぎあい、無限の可能性が開かれる。

写真◯◯映像 = 

[5]音楽と映像

「Modulation 8」は、「音楽」と「映像」が交錯する表現に注目する。「音楽」は固有の時間を有し、時間軸上で展開される表現である。物質性を持たず、抽象度が高く、録音技術と搬送手段の多様化により、様々な方法で聴取することができる。「映像」は固有の時間を有し、時間軸上において展開される表現という点で、音楽と親和性を帯びている。映像の編集とは、時間の編集であり、視覚のリズムのコントロールであり、この点において、映像それ自体がすでに音楽と同義であるともいえる。また、一般にサウンド・アートなどと称されることが多い、展示空間における音の提示は、空間軸映像を参照して探求可能である。

「音楽」と「映像」をそれぞれの中心とするふたつの円がせめぎあい、無限の可能性が開かれる。

音楽◯◯映像 = 

[6]美術と映像

「Modulation 8」は、「美術」と「映像」が交錯する表現に注目する。「美術」は、物質的な基盤を前提とする表現と長らく思われてきており、現代においても、その発想は根強く生き延びている。しかし、現代の美術においては、映像や音楽や文学や演劇など多様な領域とクロスオーバーする表現や、テクノロジーを用いた表現が、一般化している。「映像」は美術とは異なる原理に立脚し、異なるジャンルとして確立しているが、現代の美術において、映像作品の占める比重は高くなっている。美術の現場では、時間軸映像と空間軸映像の双方の表現が共存し、特に、空間軸映像は積極的に探究されている。

「美術」と「映像」をそれぞれの中心とするふたつの円がせめぎあい、無限の可能性が開かれる。

美術◯◯映像 = 

[7]形式性と叙情性

「Modulation 8」は、「形式性」と「叙情性」が交錯する表現に注目する。日本の実験映画の特徴のひとつに、「形式性」と「叙情性」の共存がある。「形式性」は、形式的な実験を手法として用いる映像と、映像の形式や構造の探究それ自体を主眼とする映像において指摘できる。「叙情性」は、ここでは、日記や私小説にも通じる文学的な傾向ではなく、映像それ自体から表出してくる叙情性を意図している。「物語性(ナラティブ)」と「叙情性」はイコールではなく、映像表現独自の「非物語的(非ナラティブ)な叙情性」には可能性がある。「形式性」と「叙情性」は排他的な関係にはなく、共存可能である。

「形式性」と「叙情性」をそれぞれの中心とするふたつの円がせめぎあい、無限の可能性が開かれる。

形式性◯◯叙情性 = 

[8]再起動

「Modulation 8」は、新型コロナウイルス感染症の影響を受けるだろう。

「Modulation 8」は、様々な場面でコロナ禍による制約を受けるだろう。

コロナ禍において、表現者たちは、それぞれの出自をふまえながら、コロナ禍において可能な表現方法を模索し、現在の社会状況において許容される表現手法を貪欲に試みる必要がある。なぜならば、表現者が自らの形式を「変調」したとしても、鑑賞者による受容の際に「復調」が遂行されるならば、本来の形式をふまえた表現を感受してもらうことに希望を見いだせるからである。

「Modulation 8」は、誤作動を起こすことがあるだろう。

「Modulation 8」は、故障してしまうことがあるだろう。

それでも、「Modulation 8」は、再起動する。

いつでも、「Modulation 8」は、再起動する。

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